はな通信NO42 平成28年 冬号

 新年明けましておめでとうございます。

皆様には健やかに新春を迎えられたこととお喜び申し上げます。
干支である酉「トリ」には、名前の由来から「物事が頂点に達する年」という意味があるそうです。今年の目標をしっかり達成できますように、スタッフ一同力を合わせ「トリ」くんで参ります。皆様お一人おひとりが、幸せを感じることのできる一年になりますことをお祈り申し上げます。

はな通信 はな通信
目次

冬の思い出

  • みかん狩りへみかん狩り

    完熟したみかんを選んで、ひと捥ぎ。“甘いはず”食べるのが楽しみです。

  • コーラスコーラス

    コーラスサークルの皆様に来ていただきました。迫力ある生の歌声にディルームはコンサート会場のようでした♪

  • クリスマス会

    クリスマス会の後はサンタとトナカイと一緒に記念撮影。
    カメラに向かって”はいチーズ”

  • クリスマスツリーの前でクリスマスツリーの前で

    何色にも色を変え、キラキラと輝くツリー。“綺麗やね”散歩の途中、足を止めて鑑賞会です。

  • 元旦に・・・①元旦に・・・1

    無病息災を願い、お屠蘇をいただきます。
    今年も健康で楽しい一年になりますように。

  • 元旦に・・・②元旦に・・・2

    地禄神社へ初詣。天気が良く気持ちよい日ですね。清々しい新年の始まりです。

俳句

  • 俳句
    玄関や 正月飾り 次々と玄関に、しめ縄や門松を飾って、正月の準備をしています。春田 泰子様
  • 俳句
    仰ぐるる 忘れて久し 新年の空空を見上げる事を忘れていたが、久しぶりに新年の空を仰ぎ見た。春田 泰子様
  • 俳句
    曇りても 晴れても正月 嬉しさよ正月は目出度いので、曇ろうが晴れようが嬉しいものです。春田 泰子様
  • 俳句
    鏡餅 行きつ戻りつ 眺めおり床の間に鏡餅を飾って、行ったり来たりして見入ってしまった。春田 泰子様
  • 俳句
    杵音の 天にひらくや 次々と餅つきの日。交代してつく杵の音が、高らかに響いている。春田 泰子様

幼い頃の思い出

私は静岡の清水港の近くで生まれ育ちました。皆さんもよくご存知の清水の次郎長さんが住んでいたお家はお米屋さんや運輸の商売をされていて、私の家は近くで料亭をしていました。
清水港はお魚も新鮮で、三保の松原も近くで名物がたくさんあります。
私の家からは富士山が目の前で見ることができ、季節や天気によっていろいろな表情を見せてくれました。でも三保の松原から見える富士山が日本一美しいと思います。

三保の松原へ続く道にはたくさんのお土産屋さんがあって、その中で竹の皮に包んだ羊羹を売ってあるお店が一件あって、味がすごく良くて、でもお値段が高くて子供には手は出せないから、よそからもらった時は、とても嬉しくてね。皆さんよくお土産に買って行くんです。
松原のすぐ近くには、徳川家康が自分が死んだら埋葬してほしいと願って奉ってある所が、山の上の方にあって太平洋が眼下に広がっているんです。(久能山東照宮)
360段以上の階段を、とてもじゃないけど登っていくんです。(正確には1,159段)
小さい頃は「ピョンピョン」と登って行ったものです。(笑)

家の近くには川もあって、そこには材木屋が多く、有名な製材や石炭も清水港から運んで来て、荷降ろして選別して...と川べりにはそういう店が並んでいました。その間を夜になると一本釣りの船頭さんがサーッと魚を釣りに行くんです。川上の方が材木屋で、川下が城下でした。

幼い頃近くに親しくしていた井筒屋という蕎麦屋があって、そこの母親は六十歳くらいで神田のチャキチャキで江戸前の言葉を話していましたよ。ご主人のことを「おまえさん」なんて言ってました。
そこの子供(姉さん)が暴れん坊で...姉御で...私はその姉御の一番弟子だったんですよ(笑)
「文子!、文子!来いっ」って言われたら、飛んでついて行って、男の子相手にチャンバラをしていたの。そんなのお手のものだったのよ。(笑) 家の隣はオペラ館という大きな映画館で、小さい頃は当たり前のように毎日隣の映画館に行って、李香蘭や外国の無声映画を見ていました。一番前が決まって私の指定席、映画は長いものだから、そこで眠ってしまっては、映画館のお姉さんが家に運んでくれました。幼い頃の良い思い出です。

横尾 文子様

静岡・清水港

オモシロ雑学

新年を迎え、おめでとうございます。みなさま初詣などいかがでしたか?
初詣と言えば色々な思い出がおありでしょうが、こんな話はどうでしょう。
むかしふうに申しますと、空軍大将が軍楽隊を引き連れ、皆様ご存じの宗像大社に詣でました。
新年の安全祈願です。一連の祈願を終え、行事は本殿前に整列した軍楽隊による奉納演奏で終了します。おもむろにあげた指揮者の棒が振り下ろされたとき、何とも不思議な音が響きました。
なんと、ふたつの曲が同時に始まったのです。さすが軍楽隊だけあって2~3秒でひとつの曲になりましたが、なんとも罰あたりな奉納でした。

また、これは国の施設の開所式でのことです。多数の参列者が生つばを飲むほどの厳粛な雰囲気の中、国旗掲揚です。担当者の合図により国歌の奏楽が始まりました。ところが旗はいっこうに動きません。演奏者には旗が見えていますが、こちらを向いている指揮者は気付きません。
担当者は予期せぬできごとのため、固まってしまって何もできないようです。
あれよ、あれよと思う間も無く曲が終ったそのとたん、あわててスルスルッと旗があがって、はいおわり。モ~やり直したら、と思うほどでした。その後、祝宴となりましたが監理部長の姿が見あたりません、後で知りましたが、がっくりきて寝込んでしまったようでした。

さすがに国旗掲揚のやり直しはだめでしたが、演奏会本番でやり直したこともあるのです。
あれは唐津の城祭り、曲は太鼓から始まる威勢のいい八木節でしたが、2分の2拍子の曲を4拍子で指揮したため、太鼓が馬鹿真面目なのか、意地悪なのか、トントコ、トントコ、倍も遅いのろまな曲になったのです。指揮者が曲を止めて、もう一度最初からしましたが、また同じ、3度目はどうするか見ていましたが、指揮者の目がさんかくになり、この曲はカットされました。

失敗談は色々ありますが、みなさん次のような話しを聞かれたことはありませんか?
明治になって、日本最初の洋式楽隊として薩摩藩士により編成されたものが、海軍軍楽隊となったようですが、その軍楽隊が、田原坂の戦闘で知られる西南戦争に際し、品川沖に乗り出す政府軍軍艦を、実に荘重なる曲で見送ったそうです。
参衆した人々は、その曲の荘厳さに感動すら覚えたとのこと。しかしそのあと、横文字で書かれた曲名を読みなおした軍楽隊長は愕然としました。誰にも知られずよかったものの・・・実はこの曲、「葬送行進曲」だったのです。
と、色々ありますが、失敗は成功のもととして、肩の力を抜いて楽しく活きたいものですね

吹奏楽
  • 行事食予定

    2月 節分膳
    鍋(すき焼き)
    3月 雛祭り御膳
    4月 お花見弁当
  • 行事予定

    2月 節分
    おやつ作り(バレンタイン)
    雛人形作り
    3月 雛祭り
    4月 お花見(桜)
初詣

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