はな通信NO65 令和4年 秋号

 今年も残り2ヶ月となりました。師走も近くなり、世間一般もだんだん慌ただしくなってきたように感じます。思い起こせば、令和4年も色々な出来事がありました。記録的な異常気象、毎日のようにニュースは新型コロナウイルスの話題で持ち切りでした。暗いニュースも多かったように思えますが、日本の内外、特にプロ野球界ではホームラン数の大記録を打ち立てたり、投打の二刀流として大活躍と若い世代の頑張りには驚かされました。
 さて、今号では実りの秋にちなんだ入居者様の様々な日常生活の様子をお送りいたします。一日も早く新型コロナウイルスが終息し、以前のような生活に戻れるよう祈念するばかりです。

 

目次

初秋の思い出

  • 作品展♪作品展♪

    作品展を見学しました。皆で作った折り鶴を手にして、これは私が折った鶴かな~と確認して楽しみました。

  • 赤とんぼ赤とんぼ

    今日は折り紙で赤とんぼを作りました。完成した赤とんぼを両手に持ちドヤ顔です!!

  • 敬老会敬老会

    今日は敬老会を開催しました。皆さんで踊って歌って楽しみ、その後ケーキをいただきました。

  • レクリエーション【芋掘り】レクリエーション【芋掘り】

    今日はレクリエーションとしてみんなで芋掘りをしました。大きなサツマイモを目の前につい笑顔がこぼれます♪

  • 消防訓練消防訓練

    本格的な寒さの前に消防訓練を行いました。備えあれば憂いなし。真剣に取り組みました。

  • ピアノ演奏♪ピアノ演奏♪

    一階ロビーにあるピアノを入居者様が時々弾いています。ご自分の楽譜を見ながら美しい音色を奏で、スタッフもうっとり聞いています。

入居者コーナー

子供の頃の思い出

 私は博多の吉塚で5人兄弟の長男として生まれました。5歳の頃春日市に引越しして、大野小学校に入学しました。今振り返るとこの時代が一番楽しかったです。
 春日の大きな運動場に友達を誘って遊びに行ったり、春日駅近くの池のそばの川で魚釣りをしたりして過ごしました。花見に行った春日の桜並木は見事だった。桜並木の通りは馬車の往来もあって賑やかでした。
戦前だった為食事もご飯や野菜の煮物、焼き魚を食べていました。
当時パンとかもありましたが、高価でしたのでなかなか私たちの口には入りませんでした。
 その後太宰府市の国分に移り住みましたが、戦争が始まり暮らしは一変してしまいました。学校で勉強は全く出来ずに、兵隊さんのお手伝いばかりしている毎日でした。穴掘りしたり武器の準備をしたり、今では想像できない生活を送っていました。どう使われるかわからない機関銃を言われるがまま、強制的に何も考えることなく触っていました。
 国分に住んでいる頃も友達と駆け回ったり、川で魚とりもしました。私には捕まえることが出来ませんでしたが、友達はウナギを捕まえたこともありました。
 国分での夏休みの思い出は、長崎に原子爆弾が落ちた光景でした。友達の家からキノコ雲を見ることができ、その時は大きな爆弾が落ちたのだろうかなくらいでしたが、後からそれが原子爆弾だったと知りとても恐ろしかったです。
 戦争中も戦後も食べる物には困っていました。食料はすべて配給でしたがとても少なくて、子供5人を食べさせることに親は大変苦労していたようでした。私はいつもお腹が空いていて、嫌な思い出しかありませんでした。
 小学6年生の12歳の時に戦争が終わり、平和な時代がきました。
ですが、その後も食糧難は続き食べることに精一杯の生活を送りました。もう二度とあの様な生活を送ることはしたくない。平和な世の中が続くといいなと思っています。

遠山 陽様  様

よもやま話

11月に入り、朝晩の冷え込みが強くなってきましたが、お元気に過ごされていますでしょうか。今年は皆さまにとってどのような一年だったでしょう? 目標に向かって前進する波瀾(はらん)の年だったでしょうか。はたまた、いつもと変わらない平穏で健康な年だったでしょうか。どのような一年でもきっと実りのある一年であったことでしょう。残り1ヶ月も寒さに負けないように過ごしていきましょう。
 
さて、今回のよもやま話は寒い冬を乗り切るために、温かい「おでん」のお話しをしましょう。今や冬の定番とも言われるほど馴染み深い煮込み料理の一つ「おでん」。大根やこんにゃくに、卵や牛すじに、ちくわにしらたきと、挙げればキリがないほどの種類があると思いますが、最初におでんの具材となったのはなんだか知っていますか? なんと初めにおでんの具材となったのは「豆腐田楽(とうふでんがく)」と言われています。今では厚揚げ豆腐や高野豆腐がおでんの具材として知られていますが、「豆腐田楽」はこれらの豆腐とは少し違うものであったようです。
 
およそ1200年前の平安時代にはすでに存在し食べられていたとされるこの「豆腐田楽」は、竹串に刺した豆腐を焼いた焼き豆腐であり、初期の頃は塩で味付けして食べていたそうです。それが室町時代になると味噌を塗って焼き始めるようになり、そうして出来上がった料理は「お田楽(おでんがく)」と言う名称から(がく)をとって「おでん」と呼ばれるようになったそうです。江戸時代になるとおでんは庶民の間でも食べられ始め、江戸の名物とまで言われるようになり、私たちのよく知るこんにゃくや野菜類、魚介類を使ったものへと進化していったそうです。「豆腐田楽」は今でも名古屋などで食べることが出来るそうなので、行ってみたら一度は食べてみたいですね!
 
身も縮こまるような寒さも悪いことばかりではありません!寒いからこそ美味しくなる料理をいっぱい食べて、暖かくして過ごしていきましょう!

  • 今後の行事予定

    11月 ・コスモス見学
    ・ユニット会
    ・紅葉狩り
    12月 ・冬至(ゆず湯)
    ・チューリップの球根植え
    ・クリスマス会
    ・餅つき
    1月 ・書初め・お菓子作り
  • 今後の行事食予定

    11月 ・郷土料理 (愛知県)
    ・誕生膳
    12月 ・クリスマスプレート
    ・誕生膳
    ・冬至御膳
    ・年越し蕎麦
    1月 ・御節
    ・七草粥
    ・誕生膳

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